ドローンを使って現在の広島の写真を撮影を行った。
記事抜粋
- 基本的に、この写真に写っている範囲のコンクリートや鉄でできていないものは、
左端から右端まですべて平らに倒れた。市内のその他のものはすべて熱で燃えた。
しかしながら火の玉は地面に触れなかったため、
人々や建物が「蒸発した」という一般的に想像しているものは誤解である。
(1,200フィート:365.76m、1,900フィート:579.12m)
- 原爆ドームはもともと広島県産業奨励館と呼ばれ、
原子爆弾ドームまたはA-Bomb Dome (原爆ドーム) と呼ばれているこの建物は、
日本の広島にある広島平和記念公園の一部であり、
1996年にユネスコ世界遺産に指定された。
保護された記念物であり、市は公園の視界を広告や標識から保護するための条例を制定している。
- 「石に刻まれた人影」 この石段は住友銀行広島支店の入り口にある。
原爆の爆風にさらされ、銀行の開店を待っていた人は、逃げる術もなくその場で死亡したと考えられている。
原爆の猛烈な熱で石段は白っぽくなり、座っている人の下の石は影のように黒く残った。
銀行は爆心地から約 1,350 フィートのところにあるが、
この黒い影の現象は「人が蒸発して影だけが残った」とよく混同される。
広島と長崎の両方でも多く見られたこの現象は、爆弾の光を遮られた物質は元の色を保っていたが、
影の外側の部分は焦げたり白くなったりしている。
原子爆弾の熱線を浴びた人が一瞬のうちに蒸発して消えてしまうことはあり得るのか?
島大原爆放射線医科学研究所(原医研)の星正治教授(放射線生物・物理学)は
「人体は炭素原子からできた有機物なので高温でも蒸発することはなく、炭になって残る」と否定する。
やはり「蒸発」はあり得ないようだ。
原爆資料館によると、「人影の石」は「影」の部分以外が熱で白く変色しているそうだ。
石段に腰掛けて銀行が開店するのを待っていた人が熱線を遮り、
影になった部分だけが黒く残ったと考えられている。
星教授は、仮に体の芯まで完全に炭化した場合、爆風で粉々になり一瞬で消えてしまうことも起こりうるが、
「体全体が爆風で吹き飛ばされ、あたかも蒸発して消えてしまったような状況になったというほうが自然」と考えている。
(出典|10代がつくる平和新聞 - ひろしま国:8.6探検隊【熱線で「人が蒸発」本当?】|中国新聞社)
- 記念公園内にある原爆の子の像。これは佐々木禎子さんの像である。
原爆投下から約10年後、白血病で亡くなる間、折り鶴を折っていた彼女の物語とつながりは、
永遠の平和の象徴となっている。また、像の後ろのケースには、紐でつながれた何千羽もの折り鶴が詰められている。
- 平和記念碑そのもの、そして永遠の平和の炎。
頂上の炎は 1964 年 8 月 1 日に点火され、核兵器への抗議としてそれ以来燃え続けており、
地球上から核兵器がなくなるまで燃え続けるだろう。
I used a drone to take a picture of present-day Hiroshima to visualize the size and power of the atomic bomb dropped 79 years ago today
- 79年前の今日、投下された原爆の大きさと威力を視覚化するために、ドローンを使って現在の広島の写真を撮影しました
関連リンク
この記事への海外の反応
- 名無しの外国人@ざぱとす
面白かったよ。次は長崎の投稿を期待している。
- 名無しの外国人@ざぱとす
民間施設への焼夷弾爆撃から原子爆弾そのものに至るまで、
この日本の民間人への攻撃全体は想像を絶する規模の戦争犯罪だった。
ドレスデン爆撃とともに、この事件の責任者はニュルンベルクのナチスと肩を並べるべきだ。
ドレスデン爆撃とは?
ドレスデン爆撃(英: Bombing of Dresden、独: Luftangriffe auf Dresden)は、
第二次世界大戦終盤の1945年2月13日から15日にかけて
連合国軍(イギリス空軍およびアメリカ陸軍航空軍)によって行われたドイツ東部の都市、ドレスデンへの無差別爆撃。
4度におよぶ空襲にのべ1300機の重爆撃機が参加し、合計3900トンの爆弾が投下された。
この爆撃によりドレスデンの街の85%が破壊され、市の調査結果によれば死者数は25,000人だとされる。
一説には、10万人以上、13万5千人から20万人の死傷者ないし死者が出たとも言われる。
(出典|ドレスデン爆撃 – Wikipedia)
- 名無しの外国人@ざぱとす
私の父は昔、日本沿岸に米海軍として駐留していた。
その父のが話すには、あの残忍な日本軍と戦った兵士や水兵が説明していたのは、
日本列島本土決戦となれば、米国人の死傷者は百万人、日本人の死傷者は一千万人に達すると予想されていたというもの。
日本軍との島での戦闘やバターン(第二次大戦中の日本軍によるフィリピン進攻)などからの経験則で、
その世代は広島と長崎の原爆がなければ戦争が終わらなかったことをほぼ理解していた。
捕虜や民間人、島民に対する扱い方から、日本軍は残酷な獣であったとも言っていたよ。
- 名無しの外国人@ざぱとす
>>3
大日本帝国の異常な残虐性は、ナチスでさえもほぼ匹敵するものがなかった。
最たる例が、731部隊。
731部隊とは?
旧日本陸軍が細菌戦の研究、実行のために昭和八年(一九三三)ハルピンに設置した特殊部隊の略称。
正式名称は関東軍防疫給水部本部。毒性の強い細菌の研究・製造などを担当。
外国人捕虜を使って生体実験、生体解剖も行なった。石井部隊。
(出典|精選版 日本国語大辞典)
- 名無しの外国人@ざぱとす
>>3
ソ連が次の敵になることはわかっていたし、
これは力と決意の誇示でもあったことを忘れないでほしい。
核抑止力という考えは、まだ存在していなかったので、
我々は手を出さないという合図を送りたかったのだ。
- 名無しの外国人@ざぱとす
>>3
私たちにとって、この2回の原爆投下を概念化したり正当化したりするのは、本当に本当に難しい。
ゆっくりと理解を深めていけば、つまり日本が帝国主義国家になったときから、
第二次世界大戦を経て、米国が徐々に日本付近の島々を奪還するまでをじっくり考えれば、
それなりに理解できるだろうね。
日本が祖国を守るためにとるだろう行動に比べれば、沖縄は小さな予告編に過ぎないと見られていた。
- 名無しの外国人@ざぱとす
>>3
もちろん、日本の民間人のほとんどは、戦争とは何の関係もなかった。
私は、「必要な犠牲」という言い訳をもはや信じていないよ。
さらに、米国は当時何年も日本の都市を爆撃していたので、
アメリカが原爆を大義のための必要悪として受け入れたというよりは、
単に同じことをより迅速に行っただけだったという印象が今となってはあるな。
- 名無しの外国人@ざぱとす
「…地球上から核兵器がなくなるまで燃え続けるだろう。」
私たちが生きている間にその炎が消えるのを見るのは素晴らしいことではないだろうか?
- 名無しの外国人@ざぱとす
>>8
素晴らしいかもしれない…でも、あなたが望んでいるような結果にはならない可能性が高い。
- 名無しの外国人@ざぱとす
>>8
信じられないほど盛り下げる話を聞きたい?
あぁ、残念だよ!
その火は、象徴的な目的で意図的に消されるよりも、核爆発によって消滅する可能性の方がはるかに高い。
- 名無しの外国人@ざぱとす
だれか「千羽鶴」を読んだ人はいる?
学校で第二次世界大戦について初めて触れたんだけど、
私たちが引き起こした被害について書かれていて、興味深いと思ったよ。
サダコと千羽鶴とは?
『サダコと千羽鶴』(Sadako and the Thousand Paper Cranes)は、
カナダ系アメリカ人作家のエレノア・コアによって書かれ、
1977年に出版された子供向けの歴史小説。舞台は第二次世界大戦後の日本である。
この本は多くの言語に翻訳され、多くの地域で出版され、小学校の平和教育プログラムに使用されている
この小説は、アメリカ合衆国による原爆投下時に広島に住んでいた佐々木禎子の伝記を、
架空の要素を加えて再編したものである。
- 名無しの外国人@ざぱとす
>>11
私の学校では、慰霊碑に加えるために千羽折り鶴を折り、日本に送ったな。
今でも私は何も考えずに鶴を折ることができるし、その時、自分で折った鶴は67羽だった。
- 名無しの外国人@ざぱとす
>>11
私が読んだ時、その重要性を理解するには幼すぎた。
でもまだ覚えているし、最後に千羽鶴に挑戦したときは 700 くらいまでいったよ。
- 名無しの外国人@ざぱとす
アメリカ人観光客として広島を訪れたとき、私たちは日本の高校生のクラスとたまたま、平和の鐘の近くにいた。
彼らが祈っている間、私たちは少し奇妙な気持ちで後ずさりしたんだけど、
クラスの代表が私たちのところに来て、私と娘を彼らのグループに引き入れ、一緒に祈りを捧げたよ。
そして、彼らは私の娘と一緒に鐘を鳴した。それは私の最も大切な思い出の 1 つになったよ。
広島は奇跡の人々でいっぱいの奇跡の街だと思う。
- 名無しの外国人@ざぱとす
民間人を標的にする理由についてはいろいろ聞いてきたけど、歴史的観点からすると、
アメリカは単に気にしていなかっただけだと思う。
第二次世界大戦が終わるまで、民間人が正当な標的ではないと考える人は誰もいいなかったよ。
当時米国は何年も都市を爆撃していたし、その時点では、日本には勝つ見込みはなく、
深刻な脅威になるとも思っていなかった。でも、米国は戦争に疲れていて、
劇的な方法で戦争を終わらせたかったんだろうね。
ウクライナとガザで再び彼らが標的にされたのを見ると、これがわずか80年前のことだったことを思い出す。
- 名無しの外国人@ざぱとす
>>15
ほぼその通り。東京大空襲を調べてみて欲しい。
信じられないほど恐ろしく、10万人ほどの人が亡くなっている(ほとんどが民間人)。
でも、1発の爆弾ではなく爆撃機の波状攻撃だったから、
この爆撃や他の爆撃は原子爆弾の次に見過ごされてしまっている。
- 名無しの外国人@ざぱとす
>>15
第二次世界大戦が必ずしも転換点だったとは思わないよ。
総力戦は19世紀後半まで行われていなかったし、
軍隊が田舎を略奪した例もあったけど、ほとんどの場合、非戦闘員は異なる扱いを受けていた。
でも、国全体が戦争のために動員できるようになったとき、すべてが変わった。
銃を手に取ることのない人々でさえ脅威になってしまった。
第二次世界大戦と、そこから生まれた世界秩序によって、
誰もが二度とそのようなことをしないことに合意したんだ。
- 名無しの外国人@ざぱとす
戦争は関係者全員にとって悪いことだから、人々は戦争を早く終わらせようとする。
その過程で民間人が傷ついたり死んだりしたら、それは国家元首や軍の指導者が早く降伏しなかったせいだ。
それが戦争だ。それが戦争の狂気で、平凡で、日常的で、虫けらのような残酷さだ。
戦争は犯罪なので、それを終わらせるためならどんな犯罪でも容認できると人間は受け入れるのが普通。
- 名無しの外国人@ざぱとす
アメリカは総力戦や空襲の犠牲になったことはない。
率直に言って、私は原爆投下の言い訳を聞くのにうんざりしている。
アメリカはピカピカの新しいバンバンをテストしたかったんだと思う。
- 名無しの外国人@ざぱとす
私が最も気になったのは、広島・長崎の原爆資料館にある爆撃で亡くなった
中国人と韓国人の奴隷労働者を追悼する偽善的な記念碑だ。
- 名無しの外国人@ざぱとす
今まで行った中で最も悲しい博物館。2回行ったけど、わかっていたにもかかわらず、2回とも泣いてしまったよ。
それに2回目はティッシュを持ってくるのを忘れてしまった…。
旅行中ずっと冗談を言っていたのに、皮膚が溶けて這い回っている赤ちゃんの話を読む頃には大泣きしていた。
そして、日本の学生のグループと一緒に見学するのは奇妙な経験だった。
- 名無しの外国人@ざぱとす
戦争を扱った日本のアニメを 2 つ紹介するよ。
1 つ目は「火垂るの墓」。私は自分をタフな老人だと思っているけど、「火垂るの墓」をまだ 2 回見たことがない。
注意して。これは生々しい作品だから。
2 つ目は「この世界の片隅に」。この映画の芸術スタイルの無邪気さと「未熟さ」は、
強力なメッセージを伝えるため誤解を招きがち。
「火垂るの墓」と同じ戦争への警告メッセージだけど、少なくともこの映画は 2 回見ることができたよ。
- 名無しの外国人@ざぱとす
原爆ドーム上空のドローンの写真は興味深いね。あの公園ではドローンは禁止されていないの?
- 名無しの外国人@ざぱとす
おそらく愚かな質問で申し訳ないけど、この地域は居住可能なの?
核兵器の後遺症 (特に放射線) は何十年、あるいは何世紀にもわたって残るのではない?
- 名無しの外国人@ざぱとす
>>24
空中で爆発する核兵器は空中爆発と呼ばれ、地上近くで爆発した場合よりも放射性降下物の発生が少ない。
そして、空中爆発では、装置自体の高放射性重金属成分が比較的少量しか生成されない。
また、広島の原爆はその後に作られた原爆ほど大きくなく、
現代の原爆よりも核分裂性物質の含有量がずっと少なかったから、地上での放射能の持続期間がずっと短かった。
管理人から一言
ウクライナやロシア、イスラエルやパレスチナなどの
世界の情勢が不安定ではありますが、
こうしてまた一年、日本が平和だったことに感謝しつつ
戦争反対や核兵器根絶の思いを紡いでいかないといけませんね。
日本へ訪れる外国人が増加していますが、
オッペンハイマーやゴジラ-1.0など
第二次世界大戦時の日本が一部描かれた映画も公開され話題になりましたので
原爆ドームへ行かれる方も多いみたいです。
外国人がそれぞれの国の視点からみて
戦争の悲惨さを理解して帰ってくれればいいなと思います。
日本の長崎、広島に原爆記念館があるのと同様に
ハワイのオアフ島にアリゾナ記念館がある。
日本視点だけでなくて、アメリカ視点も知っておくべき
日本の暗号解読済みで真珠湾攻撃を事前に知ってた、真珠湾で戦死した米兵はアメリカ政府に殺されたようなもの、全てのアメリカ人がこの事を知っておくべき
テロリストが爆弾隠し持っていてテロをするのとは違う。大型空母を含む大艦隊が太平洋を渡って攻撃したのだ。これを察知できなかったとしたらアメリカ大統領&ハワイ司令官は無能と言わざるを得ない。わざと攻撃させたという陰謀でなければ、無能だったということになる。たぶん、陰謀かつ無能だったのだろうが。陰謀をOKしたのは被害が軽微に違いないと誤った判断をしたから。
アメリカさんは戦争で不安煽って金儲けがしたい
平和なんて糞食らえだろう
民間施設への焼夷弾爆撃から原子爆弾そのものに至るまで、
この日本の民間人への攻撃全体は想像を絶する規模の戦争犯罪だった。
ドレスデン爆撃とともに、この事件の責任者はニュルンベルクのナチスと肩を並べるべきだ。
731部隊を持ち出したり、原爆投下で多くのアメリカ人の命が救われただのでっち上げるな。原爆投下は民間人を標的にした人体実験なのは明らかだ、人道に対する罪はお前等こそ問われるべきだ、メリケン共。
我々が戦犯として裁かれないのは、勝者の側にいるからに過ぎない。
(イギリスの偉いさん)
反戦平和教育が戦争の仕組や外交を教えずに「戦争は怖くて恐ろしくて悲惨」「先祖様はひどい目に遭った」としか教えないので、なんか戦争は災害か何かで、反対と言い続ければ避けられるみたいな原始宗教になってないですか。
核戦争なんて一度も起きてないから。核があるおかげで。
韓国の反日はアメリカに都合が良い、アメリカの核戦争犯罪の本質を逸らす為に韓国人に反日プロパガンダをさせ、日本人を黙らす事に成功してる
核兵器を無効化する技術の開発をしたほうが早いかも。
人は可能なモノしか想像することができない。
実際、核廃絶!!と訴えてる人々の想像の中に「無効化技術」は無いだろう。
アニメには登場するので、知ってるはずなのに想像できないのだ。
タイムマシンは想像できても、ニュークリア・ジャマーはスルーしてしまう。
アメリカ人は必要悪と言いハリボテの正義を振りかざしているが
その他の国から見れば戦争犯罪の民間人を狙った大量虐殺なのは明らか。
民間人に対する攻撃は、いかなる理由であっても許されるべきものではない
ぜったいにゆるさないよ
民間人の住む市街地への爆撃に関しては、最初から賛否両論で
激論を散々やった上で実行された。反対する軍人は当時からいた。
「民間人が正当な標的ではないと考える人は誰もいいなかったよ」
なんて事は決してない。
ただし日本人は白人でなく「黄色いサル」なので該当しなかった。
1960年代ですら激しかった黒人への差別を考えると、そう解釈する
しかないね。